そこは「ラジオ体操の楽園」 50年前の長崎 カラー写真に記録された人たちは今
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- Опубликовано: 25 дек 2024
- NBCでは、社屋の引っ越しをきっかけに 大量のネガフィルムが見つかりました。
それらを現像すると、私たちの記憶の中にしかない世界が明瞭な画像としてよみがえってきました。
写真にまつわる物語です──『昭和の長崎』少しほこりっぽもくみえますが、人も街も、今より元気でした。こうした写真の中で、私たちが特別に名前をつけて呼んでいる一枚があります。
『ラジオ体操の楽園』
石橋の上で体操をする子どもと大人たちです。
写真に記録された昭和の空気感。
そして写真の中で特別な存在感を放つ人たち。
子どもたちと一緒に体操をしていた女性、永石安愛さんに会うことができました。記者:(赤い服を着ているのは?)
永石 安愛さん:「そうです。私です」ラジオ体操の会場となったのは中島川にかかる長崎市の古町橋。
車が通らなかった橋の上は “街の中の楽園” でした。永石さんの家は橋のたもとにあった商店。ラジオ体操を始めたのは永石さんでした。写真に写っていた永石安愛さん:
「私はもう幼稚園の先生になりたいぐらい子どもが好きだった。自分が集めたわけじゃなくみんなが集まってきて。
子どもが子どもよんできて たくさん集まるようになった」永石さんの店の中には、洗剤やジュースなど昭和世代に見覚えがある懐かしい商品の数々がならんでいます。そして天井には絵が飾られていました。
ラジオ体操に参加した子どもたちにご褒美として画用紙を配り描いた絵を店の中に飾っていました。
まだのどかな時代でした──
写真に写るもう一人の男性は画材店の店主でした。畑敏光さん。
畑さんは3年前に他界し、家族が店を引き継いでいます。 畑さんの妻康子さん:懐かしい写真ですね。畑さんの妻康子さんに写真を見てもらいました。畑さんの妻康子さん:それはもう懐かしいなっていう感じそうですよね。特に私どもがあの店を始めたときですから。
畑さんはこのころ画材店を開業したばかりでしたが毎日のように体操に参加していました。畑さんの妻康子さん:主人もまだ30代です、33,4だったと思うので。康子さんはある一枚に注目しました。体操をする畑さんの背後、店にはお客さんの姿が。
畑さんの妻康子さん:そしてこんなしてほらここにお客さんおってしよんなっとやもんね。おきゃくさんほったらかしてしよんなっかな。
古町橋でつづいたラジオ体操。しかし終わりは突然やってきました
1982年の長崎大水害。
中島川が氾濫し古町橋も姿を消していました。
いま同じ場所には防災機能を高めた新しい古町橋がかかっています。平坦だった橋は高く跳ね上がるいわゆる太鼓橋の形状となっています。今この場所でラジオ体操は行われていません。
写真が記憶を呼び起こします
写真に写っていた永石安愛さん:この橋の界隈はどんな空間でしたいい街でしたよ。みんな知っているし。
畑さんの妻康子さん:昭和の時代にタイムスリップしたという感じはしますね。
街が変わり人の記憶が薄れていきます。そうした中で写真にはこの場所での営みがしっかりと記録されていました。
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